昔、むかしのひな祭りの思い出
私が生まれたころ、皇族の照宮様がお生まれになりましたので、私の初節句の時、母の実家の祖母が京都の人形屋さんに頼んで宮様と同じひな人形を祝ってくれましたそうです。
とてもr立派な豪華なお雛様でした。お内裏様お二人は御殿の中、三人官女はまえの階段の上、五人囃子は渡り
廊下の前庭、そしてお道具には私の家の家紋が入っていました。長持ちの上に飾ったお布団にも、家紋が染められていました。お針箱、化粧箱、碁石や碁盤も家紋入りの塗りで揃えられていました。昔のお籠もありました。
そして、雛段の横に昔風の台所があり、井戸には釣瓶がついていて、水を汲むまねをして遊んだ思い出も残って
います。すりこぎ、すり鉢、お椀、お鍋などもあってままごと遊びに使いたいと言って母に叱られた事もありました。
関西は旧暦なので、4月3日には、お店の番頭さんの奥さん達を招いて、少し小さい塗りの御膳にハマグリのお吸い物や決まったご馳走を盛ってだしていたのを、おぼろげながら覚えています。
私たちのお祝いはその日の夕飯の時、混ぜ寿司やハマグリのお吸い物がならんで、いたことも記憶しています。
ある時小学校に行っていましたころ、学校の先生が、学校のおひな祭りに私宅のお雛様を貸してほしいと言われ、
うちまで頼みに来られましたが、祖母がうちのお雛様は母がかかりっきりでないと組み立てられないので、ご遠慮
させて頂きたいとお断りしたと云うエピソードもありました。
3月17日の神戸大空襲の時、お雛様のしまってあった小さい方のお倉もすっかり焼けてしまって、今は私と妹と
女中のかやさんの胸の中に残っているだけになりました。三人が寄ると懐かしくお雛様の話をしたものでしたが、
それも、私が遠くにきて、しまって叶わぬ夢となってしまいました。
写真もアルバムは皆、疎開するつもりで用意していましたが、間に合わなくて一夜で灰になってしまいました。
大切な思い出の品々も何もかも、一夜で奪ってしまう戦争は決して二度としてはならないと、お雛様の思い出と
ともに強く強く思いました。
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